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​長野空襲を語る集いを開く意義

 長野空襲を語る集いは、「慰霊式典」と「平和学習」という二面性を持っている。なぜなら、この会は元々中学生が平和学習として調査したところにルーツを持つからである。そして、遺族の方達においては、長野空襲を語る集いは唯一亡くなった親族を慰霊する場にもなっている。もちろん、後世に「恒久平和」を語り継いで行くことも重要だが、それ以上に長野空襲で亡くなった47名の死を無駄死にしないことが重要なのだ。その為にも私たちはこの会を開き続けて行きたいと思う。

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​当時の集いへの参加者は戦争を知らない世代が多かった。

しかし、近年は若者の戦争離れが激しく、会の参加者のほとんどが戦争を体験した世代や遺族になっている。

​ここでは平和学習をする意義として1つのメールを紹介したい

2020年8月4日

      伝田豊美様

                              若林準也

 

 拝啓 今年は、例年にも増して残暑が厳しいようですが、いかがお過ごしでしょうか。

今年長野空襲を語る集いがコロナウイルスの蔓延防止策として開催されない事は大変残念に思います。しかしながら、また来年揃って顔を合わすことができるように努力していきたいと思う次第です。

さて、今回お手紙を書かせてもらった背景には去年行われた長野空襲を語る集いの後に私が経験した出来事があります。昨年、集いのなかで私は①外国人を集いに呼ぶ事、②戦争経験者の方達の生の声を映像に収める事、③更に大きい会場で会を開催し、学生の参加を増やす事を目標に挙げ、あの場にいたたくさんの新聞社やテレビ局の方達に協力を求めました。その後、ありがたいことに数社の記者の方々から連絡を頂き、電話で何回か連絡を取るうちにNHKさんからの提案を魅力的に感じ、話を詳しく聞いて頂くことになりました。そこで、「私がなぜこういった活動に取り組むのか」について答えをじっくり考えた上で返答することになりました。その返答次第ではNHKさんからの協力を得られると思った私は去年の夏休みを使い、色々な場所に赴き、自分の考えを整理していきました。自分はどこかの映画の主人公のように祖父が零戦に乗っていたわけでもないですし、身内が空爆で死んだわけでもないので、その答えを見つけるのがとてもとても難しいことでした。自分が集いに参加した背景(英語の弁論大会)や初めて長野空襲の存在を知った時の衝撃など色々と考えましたが、期限までに思い通りの回答をすることができませんでした。その後も自分の中で納得のいく答えが出るまで諦めずに模索していきました。そんな中、今年の2月初旬に沖縄に行く機会があり、沖縄戦の跡を巡ることにしました。そして、沖縄の平和祈念公園を訪れた際に、その隣にある平和祈念資料館で

「沖縄戦の実相に触れるたびに

戦争というものは

これほど残忍でこれほど汚辱にまみれたものはない

と思うのです

このなまなましい体験の前では

いかなる人でも

戦争を肯定し美化する事はできないはずです

戦争を起こすのはたしかに人間です

しかしそれ以上に

戦争を許さない努力のできるのも

私たち人間ではないでしょうか

戦後このかた私たちは

あらゆる戦争を憎み

平和な島を建設せねばと思いつづけてきました

これが

あまりにも大きすぎた代償を払って得た

ゆずることのできない

私たちの信条なのです」

と壁一面に書かれた詩を見つけました。その時に私は初めて「なぜ私がこういった活動に取り組むのか」つまり、「なぜ私達が平和学習に取り組まなくてはならないのか」についての答えを見つけることができたのです。平和学習とは、悲惨な戦争の記録を学び映像を見て悲観的になる事ではなく、学んだことを通して自分の考えを持ち現代社会をより良いものにするのに必要な方法を考える事ではないのだろうか。受け身になって戦争について学ぶのではなく、積極的に新たな発見を探していく事で、平和学習は「むごい戦争を学ぶ怖いもの」から「平和な未来を創る為の第一歩」へと様変わりをするのではないでしょうか。私は中学三年生の時に、本気で平和学習に取り組んだ事で、その後の戦争への考え方は勿論のこと、それ以外のことに関する考え方も劇的に変わりました。それは中々言葉にして説明するのは難しいのですが、ただ言えるのは決して端的で偏った考え方ではなく、普遍的で客観的な考え方に近いと言うことです。私がこのような変化を遂げられた事は、戦争で親族を亡くした方は勿論のこと、繋がりがあまりない方達でも平和学習を通して変わることができると言うことの証明でもあります。したがって、私のような関わりの薄い人が表に立っていることは貴重であり、なおかつ重要なのです。今を生きるほとんどの人は戦争をただの歴史として見ています。それを過去のものとして見るのではなく、現実であった我々の過ちと見ることでその戦争で亡くなった方々の無念が少しでも晴らされると思います。

また、若い世代に積極的な平和学習を促す上で必要なのが、戦争経験者の戦争に対する熱い思いだと感じます。その熱い思いを聞いて私は、戦争とは歴史なのではなく経験者の中で生き続ける記憶なのだと思い知りました。そこから、私の中での戦争が身近なものとなり、自分がその時代を生きていたらどうしたのか考えるようになりました。現代を生きている私達なら集いに参加すれば直接経験者の声を聞きそのような思いになることができますが、未来を生きる子供達にはその肉声が届かない。ではどうするかと考えた時に、映像に収めるという答えを思いつきました。持続可能な長野空襲を語る集いを行うには、どうしても今映像化して、戦争経験者の肉声を残すことが重要なのです。コロナウイルスが流行し集いが開けない中、今年は映像という形で残していけたらと思い、連絡をさせていただきました。方法としては、録画した映像を、私が編集して一本の動画にして残していきたいと思います。今の私にとっての平和学習とは「戦争経験者の肉声を映像で未来に届けること」なのだと強く思うのです。

 

それでは、お元気で。                        敬具

 平和学習をなぜ行うのか?と尋ねられた時、その答えを理解しているものは決して多くない。教師であってもだ。しかし、考えてみて欲しい。あなたの子供があなたにその質問を尋ねてきた時、「何となく平和学習をするべきなのはわかる、けど明確に説明できない」状態にあなた自身が陥り、子供に十分な説明ができないまま、ただやれと否応無しに指図する。あなた自身も過去に親から十分に説明されず納得できないまま取り敢えず行動した経験があるのなら、この時の子供の心境を理解できるのでは無いだろうか。また、これは伝搬して、どんどん平和学習への意識は下がっていく。ほとんどの戦争は上級者階級の利権争いだが、世界大戦からその構成は大幅に変わった。総力戦になったこと、民主化が進んだことで、我々国民の同意なしには戦争が行えなくなったのだ。それは、私たちに政府の武力行使を止める権限を与えるとともに、私たちに戦争を引き起こした時の責任も取らざるを得ないことも意味する。

”戦争への責任”

​ 私たちに取れるだろうか?だからこそ、私たちは平和学習の意義を後世へと語り継いでいかなければならないのである。

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