松代の証言
馬場 寿子
昭和28年8月13日、静かな松代町の一隅に悪夢のような一瞬の大惨事が起こりました。入盆の日の朝10時頃、長野方面の北の空に黒様な絵巻が繰り広げられました。駅に近いらしい上空に小型の敵機が襲来し、次々と急降下してドドドドドドドド…と爆弾を投下。遠くの事で音も姿もはっきりしませんが、ニュース映画で見たと同じ光景に茫然として足を震わせておりました。その時、退避、待避と道を駆け回る人達の大声に、1歳の子供を抱え、母と3人で前日掘った防空壕に駆け込みました。
丁度お昼時、茄子、じゃがいものざるを手にして息をこらしていました。その時、ゴーと何かの音が聞こえたと思った瞬間、ズシッと物凄い地響きにハッと身を伏せました。数秒後、恐る恐る顔を起こし、外を見ると道路には濛々と砂煙が立ち込め、大勢の人が何か叫びながら、御安町の方へ走っていきました。戸谷さんの母屋に爆弾が落ちて人も死んだらしいとの知らせに、これは大事だと胸鳴りました。「宇敷の屋根が燃え出した。消火をお願い。」との声があったので、駆けつけました。藁葺きの大屋根から煙が濛々と立ち、消防の人達が小さい手押しポンプで池の水をかけていました。中庭の土塀が壊され、大変な騒ぎ、火はまもなく消されましたが、家中水浸しになりました。やがて静かな夕方になり亡くなられた人達をお納めするために工場から大きな箱が数個運び出されていきました。
その時の詳しい状況は何一つ報道されず、真相は全然解りませんでした。工場の西側の窓ガラスは全部めちゃくちゃに割られ、爆風の物凄さに驚きました。とうとう火の手がここまで伸びてきたのかと不安で一杯でしたが、まだ敗戦の事は夢にも考えられませんでした。そして1日おいた15日正午、ラジオから流れる陛下のお言葉で敗戦を知りました。張りつめた心と体の力がどっと抜けて、涙も出ませんでした。これからどうなるのか不安な心の底で、やっと終わったんだとホッとした安らぎも湧いてきました。戦いが終わり、これからしばらくの間、元気で帰還される方、英霊となって迎えられる方、どの家族にも悲喜こもごもの運命が待っていたのです。そして、厳しい食料不足も続いたのです。
今新たな心で亡くなられた方々の御冥福をお祈りし、残されたご家族の深い傷跡をいつまでも忘れずに、再び過ちを繰り返すことなく、平和な日が永遠と続きますことを心より祈っております。