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​川中島の証言

​丸太 順作

 当時男子が応召し女子が鉄道その他で働いていました。私の長女は川中島で通信手として勤務しており、私は川中島局に通勤していました。駅に爆撃が終わったようなので心配で駅へ駆けつけましたら、皆無事でした。
 ただ機関車が穴を開けられ、水が吹き出しているのが見えました。その折、敵の機関砲の弾丸と薬キョウを記念にと、助役さんがくれたので今も保存してあります。
 乗客は総勢500人くらいでしたが、駅長さんの命令で西側のリンゴ畑に避難しました。けが人は無く、まだ実らない青い小さなりんごを食べた人が何人かいたそうです。

(当時44歳)​

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