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​吉田の証言

​福田 美佐子

 太平洋戦争もいよいよ敗け色の濃くなった8月13日、長野市が空襲を受けた。
 私は、長野が山の中にあるので大丈夫だと思っていた。空襲警報も何度もあったが、夜中にB 29が通り過ぎていくだけだったので、サイレンを聞いても恐ろしくはなかった。
 防空壕へ入ったが満員で暑いので工場へ戻って作業台の下にかがんでいた。窓から爆音と一緒に戦闘機の編隊が通るのが、はっきり見えた。そのとき大豆島の飛行機や長野駅付近がやられたようだった。
 これが1回目の空襲で2回目がやってくる前に、警報が解除になった。私は息を切らして田んぼ道を通って家へ帰った。家についてじきに二回目の空襲になった。
 今度は家の近くの北長野駅付近を狙っていた。ダ・ダ・ザァーと機銃掃射の音がして、ピシピシと屋根に斜めの穴があいた。私は両手で胸を抑えてうずくまっていたが、突然体が吹っ飛ばされそうな地響きを感じた。隣の家に爆弾が命中したのだった。近所の人がバケツで水をリレーして、ようやく消し止めた。
 焼け跡の整理が大変だったが、驚いたのは、爆弾の落ちた勢いで、台所の土間にあった石臼が向いの倉庫の屋根に乗ってしまったことだ。しばらくの間、その石うすを見にくる人が大勢いた。
 汽車から降りて駅の官舎の影に避難していた人がこの時、銃で亡くなったそうだ。

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